みんなが自由になる。選択。
やっほーー☆ こうのみちこです。
どうも、また人智を超える流れの介入がありそうだな。と、感じている。
なぜなら、私にすでに起こっているから。
(いつも少し早い)
こういうことは、痛みや悲しみを伴う。
だけど、ベストな流れだ。
それを痛いほど、私は私の体験を持って実感している。
だけど、痛くないか?と、言ったら別。
痛いし、悩んだし、悲しいし。
そういう感情を大切に味わっている。
半年前に会った時には、
元気に一緒に歩き回って買い物をしていたおばーちゃんが施設に入るという。
正確には、施設に入りたいから、色んな認定検査をしたと。
そういう話があったのが6月下旬の話。
私は、もうびっくりしっちゃって、
おばーちゃんなんで??なんか、あったの?
どーーして、そう思っているの?
何が、おばーちゃんの幸せなの?
それで本当にいいの?と、
散々、感情的に聞きまくった。
私の中で、おばーちゃんは今いる家に居たいだろう。と思っていたから。
そして、家族と一緒にいることが幸せだろうと思っていたから。
その後、おかーさんにも話をして、
おかーさんにはそういう話をしていたことと、
おかーさんにはおばーちゃんのいる家(お父さんの実家)に行く気がない。
ことを知った。
おかーさんはおばーちゃんのところに行くより、今の生活圏内が気楽だし、
妹家族の面倒をみるほうが、生きがいになっているからね。
それでも、
私は私の感情のままに、「どうしたらみんなが幸せになるんだろう」と、
考えたし、奔走した。
おばーちゃんにもう一度連絡して、埼玉に行く氣はないか?と、
埼玉に行ったらひ孫の成長とか身近に感じれて楽しいはずよ~とか、
言ったけれど、
おばーちゃんは、知らんところに今更行くのはイヤだ。と、言った。
折しも、こっちの友達が、
「オバーなんかは方言がしゃべれなくなったら、一氣に悪くなるよ~」と、
教えてくれたので、これを無理強いするのは違うんだろうな。と思った。
で、お父さんよね。
おばーちゃんからしたら、息子であるお父さん。
さすがに弟に任せっきりにしていたのだけれど、これを機に様子を観に行っていた。
だけどw
お父さんは、悩んでいた。というか、なにも決められずにいた。
しかも、その最中、私に電話してきて、弱音を吐いていた。(酔っぱらっていたけど)
あぁーーーこの人、こんなことを言う人だったんだ~と、
なんというか、家族のことは何一つしてこなかった、それを避けてきた、
お父さんが弱さをみせる瞬間だった。
この時、実は私は自分の中で迷っていることがあった。
「私がおばーちゃんのところに行ったら、全て解決する」と。
みんなが幸せになるはずだ。と。
私は自由にしている身だからね。
だけど、このパターン。
もう散々やってきて、「違う」ってことを薄々氣づいていた。
これを実行した後、「こんなはずじゃなかった」と、私自身が思うことは、
もうすでに知っていることだった。
だけど、大好きなおばーちゃんの最後を幸せに迎えて欲しいと思うし、
大分の実家はご先祖様とダイレクトに繋がれる場所だから、
これは私がそこに帰るきっかけなのかもな。とも思った。
(これは、残念だけどエゴが。ね)
そのお父さんからの電話の時、
私が「そうよ~私は通おじいちゃんの孫よ~なんとかしてそっちに帰るさ~」と、
言ったら、お父さんが
「あぁ~そうだな、お前がそうしたらいいさーー」と言った瞬間に、
ヤバい!という気配と共に、
「何言ってんだよおめーーーは! お前なんかにここが任せられるかよ!
お前はまだチャンスがあるんだから、あきらめずに結婚でもなんでもしろーー」と、
言い放った。
びっくりした。(笑っちゃったけどw)
お父さんがこんなことを言う人とは、思ってもいなかったから。
っていうか、お父さんがあきらめてないんやなw
酔っぱらっていたとはいえ、(酔っぱらっていないと逆にこんな会話はできないw)
あのヤバい!っていう気配からの言葉を受けとると、
ここは、私の出る幕ではない。と思った。
お父さんとおじさんとおばーちゃんの親子の物語だ。と。
偉そうだし、しゃらくさいけど、私は見護ろう。と決めた。
動かない。と、決めた。
これはもう、もう、もう、もうーーーーーーーー苦しかった。
「私が行く!」と、言えたらどんなに楽だったか。
「みんなが幸せに。」
私も好きな人と好きな場所だから、きっと幸せになるはずだよ。と、よぎる。
だけど、流れが全然違う方向に動きだした。
知っての通り、龍神様が本格的に発揮しはじめたし、地域との繋がりまでできてきた。
大切な人の幸せを思う時、私は自分の幸せを見失う。
だけど、自分の幸せは、私だけのものじゃないから。。。
ゆれたね~ゆれた。
で、今月、おばーちゃんが施設に入ることを自分で決めた。
おじさんがその手続きのサポートをしている。
って、おかーさんから聞いた時、
「おばーちゃんは今いる家に居たいだろう。」も
「家族と一緒にいることが幸せだろう。」も
私が勝手に決めつけていたことに過ぎないかもしれない。と思った。
私の価値観(エゴ)の押し付け。
お父さんは、友達がいて自分の好き勝手出来る今の家がいいし、
お母さんは、孫の面倒がみれて勝手のわかる今の家がいいし、
おばーちゃんは、ままならなくなった身体のケアをしてくれる施設がいいし、
私は、ここで好きなようにやりたいことをやっていきたい。
みんながみんな、自分の好きなように、自由に生きるだけだな。と。
おばーちゃんの選択はみんながみんな自由になる選択なのかもしれないな。と、
そう、思えた。
これだって、通過点に過ぎないし。
人生が続く限り、心地よさの変更は可能だ。
また話し合う時もあるんだろう。きっと。
その都度、新しい選択をしていけばいいはずなんだ。
私は、私を生きる。
私の人生をまず全うする。
これを改めて実感した。
血の記憶は、場所だけじゃない。
そもそも、私たちの肉に刻まれているのだから。
それを礎に。
今日も私は私を精一杯生きる。
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