げっ!そもそもワクワクキットは作動されている。
やっほーー☆ こうのみちこよん。
まさか、エゴは死なないと、バシャールが言っている!!とご紹介した本。
sensitivitytolove315.hatenablog.com
あまりの衝撃に近所の本屋でゲットして、最初から読んでいる。
以外かもしれないけれど、
バシャールのことは人から聞いたり、
ブログやYouTubeで読んだり観たりはしていたけれど、
本を買ったのは初めて。
まったく興味がなかった。
私に、「ワクワク」という表現は、はまらなかったし、
まずもって、宇宙人の言うことよりも自分の言うことでしょう。と、
自分と向き合って、人の言うことを聞いてきた。
が。
が。
が。
バシャールの言ってること、共感ーーー♪ (マジかよw)
げぇーーーー
これまでちゃんと読みもせず、毛嫌いしててごめんなさい。
この本が、
日本人の引き寄せマスター(この引き寄せにも大いに疑問をもっていたw)たちが
質問して、それにバシャールが答えている。って形式で。
宇宙人とか、外国のスピリチュアル本って、
抄訳に癖があって、読みにくい。
それがこれはイラストもあって、会話形式でわかりやすい。
かなり、おすすめ♡
で。
冒頭から、バシャール鉄板の「ワクワクを追求する公式」の話なの。
たぶん、私の情報がいろんなスピリチュアルな教えが混ざっているんだろうが、
「ワクワク」を
バシャールは、感情のことではなく、ステート(状態)のことと言っているし、
ネガティブやポジティブについても感情ではなく、
ステート(状態)のことと言っている。
ここの勘違いというか、混ざっているのって、イタイ。
ネガティブな感情を悪者に、それを感じていることを責めている人って、
本当に多いから。
そして、そこにフォーカスしてしまうと、視点がとってもミクロになってしまう。
バシャールは、どちらかというと、マクロな視点を教えてくれていると思うから。
「ソース(源)からの視点」だと思うのよ。
そうなると、
ただ、私たちは「ワクワク」という言葉に翻弄されている。のかもしれない。
「ワクワク」という言葉からくる、陽氣で明るいイメージを持ちすぎるのかも。
ここへの期待が、私たち自身の目をくらませる。
バシャールの言う「ワクワクを追求する公式」をすると、
人生がワクワクだらけで、楽しさと歓びと笑いしかない。と、勘違いをする。
それは大きな間違いで。
状態・魂のゾーンでは、それは間違いなく、そうなるのだが、
日常生活、感情、反応のゾーンでそうなることは、まずない。
そういうシステムだからね。この星は。
そして、こういう本を手に取る人は、
たぶん、自分自身に、人生に、納得していない。
その、自分自身への前提も、目をくらますよね。
「私は、ワクワクしていないから、ワクワクしないと」と。
現実的に苦しいだろうしね。
そう思ってしまうのも仕方がない。
私自身もそういう劣等感は少なからずあったし、
そもそも「ワクワク」がわからなかった。
「ワクワク」なんてしていなくても、インスピレーションはくるし。
ここの矛盾に長いことはまっていた。
それが、弾けた。
この本を読んで、
私の今までの人生が、このワクワク公式キットを作動させて歩んできていること。
どんなに苦しくて、不本意で、自暴自棄であっても、
それができている。という、魂のワクワクね。
「この体験たまんない♡」ってね。
それが作動されていることに氣がついてしまった。
この前提をなしに、読む。っていうと、
そもそもワクワク公式キットは作動されていて、
その上で、ワクワクを追求する公式をする。ってこと。
ワクワク公式キットは作動されていない。という前提から読むのではなく、
ワクワク公式キットは作動されている。という前提から読む。
はぁ?この苦しい現実、ワクワクなんてしてないけど?
どこがワクワク公式キットが作動しているっていうのよ!!!!
って、言われそうーーーー♪
もう♡そのワクワク、バシャールの言うワクワクじゃないから。
エゴであり、反応であり、感情のワクワク。
バシャールの言う、ワクワクは魂のワクワク。
これを感知できる人は、ビリーフが少ない人。ピュアなエゴの人。
私たち凡人の「ワクワク」は、「ふと」なんですわ。
「なんか氣になる」なんだわ。
これを(全てじゃないにしても)採用してきている人生の人は、
もれなくワクワク公式キット、作動されている。
はい!夢ぶちこわしましたーーーー♡
理由のない衝動。
空気の読める民族である、私たちがキャッチしていないわけない。
それがキャッチできるか、できないか、は、
ストレスのある、ナシ、ぐらいのものよ。
だから、ワクワクを追求する公式を細かく実践して、
ステート(状態)を心地よくしておく。
そういうことだよ。
これさ。
もう、自分の人生に言い訳ができなくなる。よ。
これまでの人生は自分自身のワクワクでできているのを認めるから。
そこで観てきた、体験してきた、感じてきた、氣づいてきた、
それらが全部、自分のやりたかったこと。
そう、認めることだから。
実際、その通りなんだよね。
恋の始まりに理由もなければ、
今ここにいるのだって、理由もないし、
今こうして、こうやっていれることも理由なんてない。
やらされている。とも、とれるし、
ただできているから、やれているとも言える。
理由をつけているのは、いつだって自我だ。
因果はあるようで、ない。
(ないようで、ある。)
初期衝動は、なんてことはない微々たるなにか。
それをそのままじゃ行動しきれないから、
自我が無理やりそれらしい理由をつけているともいえる。
それは、逆にそれらしい理由をつけてやらないともいえる。
自我の状態が、そのどちらを選択しやすい状態か?ということが、
ビリーフに関連つけられていると思うの。
あっ!
思い出したけど、
最近の(エゴが自分では望んでいないと思っている)大きな出来事も、
そのオチをみるとひどいけど、
フリに氣づくと、「あれかーーーーー!」って、
叶っているやないかーーーーーいっ!と、驚愕する。
所詮、翻弄されているのは、エゴだけ。
それがわかってくると、自分からぶれなくなる。
何があっても、自分で在れるようになる。
で。
たぶんだけど。
そういう(何があっても、自分で在れる)状態になったら、
もうドンドンソースのしたい体験が現実で起こるようになる。
それって、結構ハードだ。
たぶんね。
たぶんだけどね。
エゴが機能しているっていうのは、
やっぱり壊れない為の自己防衛だよ。
タフな自我がないとね。
魂の本氣は生きれない。
そういう意味でもパーフェクト。
この人生は。
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タイムリーな氣づきや
ハートの領域を緩める・ひらく・動かすワークをしているよ。
かなり濃厚よん♡