sensitivitytoLOVE

「あいする」に飛び込めば世界が変わる

おかしいのはどーーーっちだっ?

 

やっほーー☆ こうのみちこだよーーーん♪

 

あぁ、やさしい世界ってあるんだな。と思った。

 


映画『うまれる』ダイジェスト映像

 

何年か越しに、この映画を観た。

 

この映画が公開されたころ、

私は流産を経て離婚し、

妹には障害児の子供がうまれた。

 

だから、というわけではないでしょうけど、

テレビで特集が組まれていた時から氣になっていた。

 

それを今。観たんだ。

今、だったんだな~と思う。

 

上映会場には、当たり前だけど、色んな人がいて、

色んなことを感じたり、感じなかったり、していることを感じたけれど。

あぁ、やさしい世界だな。と思った。

 

それは主催者のみなさんのお力も大きいと思うけれど、

私自身がそういう方向に開いてきたのかもな。

 

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ここ数年は特に、

当たり前ってなに? 常識ってなに? と、ある意味戦ってきた。

 

そして今、それは私にとって意味をもたないこと。となった。

 

「その人にとって」だけだ。

当たり前も常識も。

これらは、さも大多数を占めるように思われるが、個人の趣向だ。

それを当たり前、常識としている「その人の」趣向ね。

それを振りかざされたところで、ね。

 

えっ。常識も当たり前も多数意見でしょう?

ってね。

本当に本心からの多数意見ならね。合わせるとか起きないでしょう。

合わせるっていうことが起きるのは、「自分の意見じゃないから」でしょ?

それが自分の意見なら、「合う」じゃん。

合わせることで起こる多数意見って、もう個人の意見じゃん。

その人の趣向。

 

個人の数だけ常識も当たり前もある。

個人の数だけ意見がある。

それでいいじゃないか。と思う。

 

私の姪っ子は障害児だ。

ともすれば、「かわいそう」という声をかけられる。

特に母親の妹には。

酷いと気持ち悪いとか、ね。

ないわけではない。

それも世界だ。

 

そうすると、

母親である妹や、妹の母であるお母さんが自分を責める。

「私のせいで、こんな風に生まれてしまった」と。

 

五体満足でうまれることが「当たり前」なら、ね。

そんな当たり前はどこにも存在しないことは周りをみてわからないだろうか?

 

40になる私の周りには、不妊治療をしている方も多い。

そうかと思うと、何人も子供を宿している人もいる。

 

そのどちらの経験をしている人も、傷ついていることがある。

 

「まだ生まれないの?」

「何人目?うわっっ大変だねーーー!」

 

悪気のないその言葉に傷つくのは、ご本人がナーバスになっているからだけれど、

悪意のあるその言葉もないわけではないだろう。

 

人を傷つけようとして、言葉を発する人もいるからね。

 

ここで「傷つく」という言葉を使っているけれど、

私はこの言葉は好きじゃない。

この世界は全て対等な世界だから、

傷つくことは、自分が傷つきたい。と思ったことでしか起こらない。

 

本当は、

子供ができないことも、できることも、そのどちらもが喜ばしいことだ。

本当はね。

だけど、それをそう、受け取れないのも、心の複雑さで。

傷つきたかったら、傷ついたらいいよ。

そこに寄り添ってくれる人も、それを派手に演出してくれる人もいるからね。

 

その上でだ。

今、本当につらい氣持ちでいる人には酷な言い方になるけれど、

傷つく必要なんてない。よ。

 

悲しかったら悲しんでいいし、

刹那かったら刹那くていいし、

苦しかったら苦しんでいいよ。

それはあなたの大切な氣持ちだからね。

でも、それが湧くのは誰のせいでもないから。

 

そう感じている、あなたが愛しいね。

 

目の前の人は、その人が思っていることを勝手に言う。

勝手に。

 

で。

障害児を見て、「あら~かわいそうに」と、言う人が、

やさしい人だろうか?

 

子供を望んでいることを知っていて、「まだできないの?どうして?」と、言う人が、

親切な人だろうか?

 

やっと子供の手が離れると思ったのに、授かって呆然としているのに、

「あらーーー大変ね。またできたのーーー!」と言う人が、善意のある人だろうか?

 

少なくとも、あなたが「傷ついた」のなら、そうではないだろうね。

じゃあ、

その悪意や不親切を受けとる必要って、あるのかしら?

ないかもしれない。

 

「こんなことを思うのは、私がおかしいからかもしれない」

「こんなことを思うのは、私が悪いからかもしれない」

そういう言葉を何度も聞いてきた。

 

んーーーーー。たぶんおかしいのは相手だね。

あなたにとっての正解はいつでもあなたの思っていることだから。

 

「あなた(目の前の人)の言葉に傷ついた」それでいいんじゃないかな。

でも、それを言ったその人が悪い人とも限らないし、イヤなやつとも限らない。

人は虫の居所が悪い時もあれば、無神経なところもあるからね。

 

決めつけることは何一つないんだ。

 

こういうことを書くと、「言葉がかけられなくなる」と言われるけれど、

それこそ、察するや合わせるの力の使いどころじゃないのかな?

 

正解はない。

あるのは、知る。ということだけ。

 

私にとって、上の3パターンの人たちは、

私のしてこなかった経験をしてきている、幸せな人たちだ。

彼女たちの話を聞くことで、その雰囲気にふれることで、

その全てではないけれど、その経験を垣間見ることができる。

知る。ことができる。

 

それは、私の想像力を豊かにもするし、自分の幅が広がる。

 

私ひとりでは感じることも、することも限りがあるから。

それをみんながしてくれてありがとう。と思う。

 

私は、そのむき出しの悪意にふれたことがある。

だけど、その向こう側にある寂しさと憤りにもふれたこともある。

 

人って、一面だけがその人の性質じゃないよね。

いろんな面があって、それで放たれる言葉がある。氣持ちがある。

 

かるとか、

わからないとか、

どっちでもいいよ。

 

それでも世界はやさしい。

 

傷つく必要はないよ。

そうあるのは、あなたの個性なのだから。

それでもいいのだ。と。

抱きしめるところから、初めてもいいのかもしれない。

 

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 締め切りました。

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