気になる現象が起こっているうちは、自分もまだ同じところにいる。
やっほーー☆ こうのみちこです。
例えば、
「対等な世界にいたいな」と思ったとして、
その時、
対等じゃない関係性をみせられたり、
自分自身が対等に扱われなかったり、して、
「こんなの対等じゃないじゃん!!」と、
批判というか、
そうじゃないよ。こうだよ!と思うのは、
まだ、自分も「対等な世界」ゾーンに入っていない。
それは、まだ、
あなたが望むものは、これですか?と、
みせられている状態なのだ。
その時、
「これは私の望む世界じゃない!!」と、
強烈なコールが自分自身になるので、
そりゃあ、
批判もしたくなるし、
怒りたくもなるし、
不甲斐なさを感じたりもする。
これって、とっても自然な流れだよ。
で、
そういう「望まない」ことが出来事として、
起る時は、
逆に、
望む世界とは、何か?
望む世界を自分が創造するとはどういうことか?
っていうのを、
必死になって、データ収集しているし、
それを生きる為に、
必要なくなっている考えや癖をやめようとしている。
だから、
周りの人が、それを「これだよ」と、
教えてくれているんだね。
先日、
「Aさんがこう言ってて、
それって全然Bさんのこと尊重していないと思うんだよね。」
「誰かが誰かのことを批判していて、
お互いの意見をぶつけ合っているだけじゃこじれるだけだよ。」
と、話をしていて、
答え、でているよな~って。
この話している人は、
まだその人自身も尊重しあう世界に生きていない。
Bさんのことを尊重していないから。
で、
答えは、自分の口で語っている。
その自分の口で語っていることを、
全ての人にしたら、
その人自身は尊重の世界を生きることになるから、
誰かが尊重されていなくても、
誰かが尊重しなくても、
気にならなくなる。
自分自身も、
これまで散々、
「あれないわーーー!!」とか、
「えぇーーーー!○○って、言ってて全然違うじゃん!!」とか、
ね。
人のことをよくもまぁ、言っていましたが。
自分自身の「わからない」や
こういう風に生きたい。ということが、
わかる。
腑に落ちる。
と、
その怒りが全くなくなる。
人のことが気になるということは、
自分の何かが気になっている。ということだね。
しかし、
これは、自分に集中している。ということが大前提。
自分の信念に合わないから、と、
他人を見張っている時間は本当にムダなので。
そういう、しょーーーもないズレから、
人のことが気になるのなら、
さっさと、自分の好きなことに、ホッとすることに、
いや、もう、なんなら何もしなくてもいいかも。
疲れていると、人のこと気になりだす人もいるから。
とにかく、自分の心地いい時間を過ごしてね。
自分の進みたい方向へどんどん進んでいくなかで、
こういった現象が起こるのは、
それも自分自身へのお知らせなのだから、
「私、どうしてこれがこんなに気になるだろう」と、
立ち止まってもいいし、
「○○が確信だけれど、もしかして、それができていない人が
こんなに気になるのは、まだ私もできていなからかな?」と、
振り返ってもいいかもしれないよ。
その時、
アレが気になる。
これが違うと思う。
と、言っている自分の言葉こそ、
最大のヒントなので。
それを自分自身がしているか?どうか?をみると、
ベクトルが自分に向き、
さらに、
自分の確信を自分自身で体現することができるようになるよ。
人を批判することじゃないじゃん。
私たちのしたいことは。
自分の思う世界・自分自身を生きたいだけだから。
自分がそうやって生きたらいいね。
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