sensitivitytoLOVE

「あいする」に飛び込めば世界が変わる

流れのままにってこと。

やっほー こうのみちこだよーー♪

 

最近、「消えたい」とか、

「生きてることが罪深い」とか、

「生き地獄」とか、

そんなキーワードが私のところにきている。

 

あははーーー!

ダーククィーンの本領発揮だわ。

(深刻そうに、そういう相談されても、

 残念ながら深刻になれなくて、笑っているw)

 

これ、全部エゴの声だよ。

 

流れにのるとか、

本音に従うとか、ね。

そういうのをキャッチしようとしてると、

そういう究極ともいえる、

「声」が「それ」と感じる時がある。

 

魂という自分は、そんなこと思っていない。

「生き地獄」と思っているのも、

「消えたい」と思っているのも、

自我。エゴの声。

 

エゴの究極の本音。

(昨今の本音を生きるって傾向は、

 エゴのピュアな声を聞いて生きるって感じ。

 それもプロセスだよーって感じ。)

 

これをどっぷり感じている人は、

きついだろうし、つらいだろうし、苦しいだろうけど、

そう思ってまで、

生きてるのって、エゴにとってはたまらない。

甘美な罠。

 

また、一方で、

エゴは消えたくて、消えたくない。

いや消えられない。と言った方がいいか。

 

本来、肉体は魂の意志に使われたいと思っている。

(と、感じる)

魂と肉体(=本能)は仲良し。

 

それ、当然だけど、エゴは知っている。

だから、消えたいんだよ。

だけど消えないの。

どうやっても、消えない。

 

それが、肉体と魂をこの世でつなぐものだから。

 

刹那ーーーい。

 

でねーー

この時感じているであろう、

「死んだように生きている、自分」とか、

「なーーーーんの意味もない、自分」とか。

 

そういうどうしようもない感じを感じきるしかない。

 

その先だから。

エゴが消えるのは。

(消えないけど、全然別の感覚にかわる)

 

やりきるしかない。

エゴがそれに飽きるまで。納得するまで。

 

魂はそれをいつまでも待っている。

それこそが、自分自身への愛だから。

 

故に、それすらも「決められている」

なにをしても、しなくても、

なにを決めても、決めなくても、

 

今している、この状態が。

その瞬間の全てが完璧な状態。

 

全部、決まってて起こること。

だって、シンクロなんだもん。

宇宙の流れを私ごときが決められるわけない。

 

とはいえ、決めていいわけで。

悩んでいいわけで。

 

その一瞬、一瞬を受けとっていくことしか、

私たちにはできないの。

 

受けとることは、

楽しいこと、うれしいこと、よろこばしいこと、

だけじゃない。

 

つらいこと、くるしいこと、かなしいことも。だ。

 

ここを取りこぼすなかれ。

 

のたうち回っていいんだよ。

今、それを感じることが流れだ。

 

ま。逃げてもいいけどね。

それも飽きるまでしたらいいね。

 

私たちは自由だ。

なぜ、苦しい時に苦しいと、いわない?

なぜ、死んだように生きては、ダメ?

 

それでもいいよね。

そうやって、生きていたっていい。

 

そうやって、生かされているんだから。

 

なにもしなくていいよ。

それでも生きていて欲しいと願う人がいる。

 

それは私であって、あなたでもある。

 

今のこの状態を。

受けとって。

 

ただ、生きる。

 

寒い季節に無理して咲かなくていいよ。

下に下に根を伸ばして。

 

花は咲く時に咲くのだから。

 

 

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