sensitivitytoLOVE

「あいする」に飛び込めば世界が変わる

対等であることと、出来事の捉え方。

 

やっほーー☆ こうのみちこです。

 

 

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去年からここ1年をかけて本格的に「対等である」ということを観てきた。

何事も体験・体感したい性分なんで。

 

ここにきて、エゴ事が「おわり~♪」と来ていて。

(あ。何度も言っていますが、エゴはなくなりません。)

 

「エゴ」に焦点を合わせてきたこの数年はメッチャ濃い。

そのエゴ事のひとつだね。対等であることは。

 

私の対等である。ということは、尊重し合うね。

尊重し合っていたのなら、上下もないし、勝ち負けもない。

あなたは素晴らしい。私も素晴らしい。以上。

 

で、これには、

自己受容と自己肯定がかなりのポイントを占めている。

 

ということは、承認欲求ね。

これがあるのが悪い。ないのがいい。と言いたいんじゃない。

 

そもそも、自分がした何かの承認する、しない。は、

自分以外の誰かの勝手なので、自分がどうこうできるもんじゃない。

 

これを「何かをしたから私は評価されるべきだ」と、思っているのは、

自分自身でしかない。

しかも、それは満たされていない「欲」からくる。

 

みんながすごいといっている人から認められたら自分はすごい。とか。

 

そういう欲から、何かをしていたのなら。

「こう言われるはずだ」という期待が、

「こう言われて当然だ」という欲望(コントロール)になるかもね。

 

っていうか。

やりたくないなら、やらなきゃいいし。

疲れているなら、しなきゃいい。

 

疲弊すると、人は思いもよらない方向にいきやすい。

疲れたら休む。は、鉄則よ。

自己肯定感があっても疲弊は、欠乏なのでそっちに向くから。

 この辺は肉体があるのでね。

肉体を強くしましょう。

 

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対等である。というポジションに自分を置くには、

自己受容と自己肯定感がすすでいることが必要であると感じている。

 

これは、「エゴ事おわり~♪」と近くて。

自己実現、自己創造という段階にいくには、

他人とか周りとかではなく、自分をまず満足させることができること。

自分を満足させて、自分が心地いいから、人の役に立ちたい。となるのね。

 

それと承認欲求。

エゴ同様に、これがなくなることもないと。思う。

だけれど、結局、この上下の土俵にいる人は、この承認欲求を他人に明け渡している。

 

自分の好きなことをしていても、

自分のやりたいことをしていても、

そのしたことが自分の思うように評価されないのがイヤね。

 

やりたいことやっているんだからいいじゃん。

好きなことしているんだからいいじゃん。

それをまず、自分自身で満足することが先でしょう。

 

それで満足していなのなら。

それで満足できない自分の思い込みとか価値観とかね、

ズレているところをみたらいい。

給料とかならね。

もっと、いいところを探せばいいからね。

 

「やった」からって「そうはならない」ことなんて、世の中クッソあるから。

なんなら、

子供みたいに、これだけやったのにーーーー!なんで認めてくれないんですか?と、

言う、表現するのも大切だよね。伝わっていないかもしれないから。

 

で、やらなかったら、わからなかったこともある。

私の場合、

島に住むって言うことは、心からしたいことだったけれど、

それは自分の想像を超える現実がそこにはあった。

(別の意味でも想像を超えることばかりだったけれどww)

 

やってみて、「あぁーーーここまで自分がしたいわけではないなーー」とか。

やらなきゃわからないこともある。

 

って、なったら、自分の自尊心の元に、辞めたらいいわけで。

 

誰かがすごいとか、

誰か特定の人が偉いとか。

対等であるなら、ないからね。

 

「ここは素晴らしい場所ですが、私はここまでできません」でいいのだ。

 

それは、例え導く立場の人であっても、同じで。

 

っていうか。

誰かを崇めたり、その人みたいになろとしたり、

それを取り入れたり、外に答えを求めたりするのも、終わったよ。

 

ひとりひとりが個性があって、素晴らしくて。

それを知って、生かしていくこと。

それがみんなが自己実現をするってことだと思う。

 

私はジャイアンタイプと、妹たちから言われるけれど、

このジャイアンが全体をみてみんなの状況を聞くから、

まとまることもできるし、指示も行き届いたりする。

 

できることをできるだけ、するだけで回るよ。

 

で、

これ言っちゃうと、元も子もないだけど。

「それ、本当にやりたかったこと???」と問うてもいいかもね。

 

だが、

何者でもない「私」でも素晴らしいと、

自己受容をしている人が、他人を受容できないわけがないから。

していることよりも、自分が何に反応しているのか?をみるほうが、

根本をみることができるだろうな。

 

全てを「私」として迎えいれたのなら。

 

現実が自分が創りだしたことだということが、これでもか!とわかる。

痛くて、刹那い現実を。

 

華々しい現実だけを素晴らしいさとしていることこそ、

「全て」ではないこと意味している。

 

被害者であることは、加害者である。

加害者であることは、被害者である。

どっちでもない。

それが対等である。ということ。

 

リスペクトがなければできないよ。

尊重だから。

 

「人は尊重される」 小3のクラス目標。

 

今、これが胸に突き刺さる。

 

 

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