sensitivitytoLOVE

「あいする」に飛び込めば世界が変わる

おとんと娘のラプソディ

 

やっほーー☆ こうのみちこです。

 

おかんとのラプソディは、

何度も登場していると思うんだけど、

おとんはたぶん、初だと思う。

 

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沖縄に移住して6年。

初めて実家の庭でとれた柿が届いたの。

 

いや、もう、何が起きてんだ??と思うくらいの出来事。

お父さんが採って、

お母さんが詰めた。

 

すげーーーことよ。

冷たい戦争がずっとこの夫婦には起きていたから。

(っていうのも、娘の幻想なのかもしれないけれど)

 

それは、ふたりのストーリーなので、

もうお任せなんだけど。

 

私とお父さん。

私とお母さん。の関係というか、ストーリーだけよね。

 

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3年前のおじさん、私、お父さん。おじいちゃんの法事にて。

 

 

今、私のシャバダバエスト(普通の会社に勤める)にて、

ご年配の声に少し迫力のある男性とお話する機会があって。

 

そういう質の声だと、なんだか構える、萎縮する自分がいた。

(顔に関係なくってこと)

 

それは、その人が怒っているとか、

私に非がある。とか、そういうことではなくて。

 

話を聞けば、ただその人の特徴であるだけなんだけど、

私にとっては、「怖い」と反応をしてしまうこと。

 

ビックっ!とするくらい。

第3チャクラと第4チャクラでそれは起こる。

 

これ、そうなることに氣づいた段階で、

あぁーーーーーおじいちゃんとお父さんだな。と。

幼少期の記憶。

 

家のお父さん方もお母さん方も、

おじいちゃんは、かっぷくが良く、声が大きい。

 

さいころ、この迫力のある声で怒鳴られた。

 

それは、怖かったし、

それは、自分が悪いから怒鳴られている。という方程式を自分で創った。

 

大人になった私は、

それがおじいちゃんたちからの最大限の愛情表現だということを

知っているんだけど、

肉体に残ったそれは、その現象に対して無条件の反応を起こす。

 

この声の質にふれただけで、

「怒られる!」と警鐘がなり、身構えるわけだから。。。

どんな現実が創造されるか。。。 笑

 

必要ないよね。もう。

それとこれは繋がらなくていい。

 

脳ミソの概念から、その鎖を切っていきながら、

 

その声はその人の個性だ。とか

私が悪いからこういう言い方をしているのではない。とか、

私の問題とこの声に関係はない。とか、

ん?もしかして、勢いよく言わないと伝わらないと思っているのかも。とか、

自分を通すために身に着けてきたスキルなのかも、とか、

自分を大きくみせる為にその威厳の為の声なのかも。とか、

 

ね。

 

一方で、心はどう感じているのか?

 

あの時、怖くて、それでもそれをどうすることもできずにいてごめんね。

怖かったのに、さらに自分を責めたりしてごめんね。

無条件に自分のことを悪者にしてごめんね。

おじいちゃんは、大好きだったけどイヤだったね。

怒られると思って、いつもいい子でいるように努めていたね。

あの声、びっくりするよねービビったよねーー

 

とかね。

 

一番のウイークポイントは、「私が悪いから」という前提ね。

 

声の大きさも勢いも、

「私が悪いから」ではない。

その人の選択、その人のパーソナルなもの。

 

っていうか、なんなら、自分も声でかくてとおるからねw

 

それを取っ払った。

 

とはいえ、ね、

これ、どーーーーーでもよくするのに一番早いのは、

お父さんと話すことだな。と、思った。

(おじいちゃんとは、もう会えないから)

 

そうしたら、荷物届いて。

そういえば、お父さんと直接話すの久しぶりだな~と思って。

 

わざわざ実家に電話して、お父さんと話した。

(お母さんにLINEすればいいだけなんだけど)

 

電話にでたお母さんに「替わって」っていうのも、

緊張したんだけど、

「みっち!」と受話器を差し出されて、

「おぉ~~柿が着いたのか~」と呑気に言うのが聞こえて、

ホッとして。

 

それでも、どこか緊張しながらお父さんの近況を聞いて、

柿を届けてくれたり、

茗荷をもたせてくれたり、

元気でいてくれることだったり、

甥っ子におもちゃ買ってくれてることだったり、

そういうことにひとつづつ感謝して。

 

普通に話をしている中で、

あぁ。私はこの家系の男の人にちゃんと愛されているんだな。と、

思いながら、

不器用なお父さんと娘の会話を続けた。

 

「なんなんだよーーおめーーー」と笑いながら言うのとか。

この感じ、お父さんだなーーーとしみじみしながら、

やっぱり、

言い方や声の大きさと質に、「私」は関係ないな。と。

 

私が良くても、悪くても、おじいちゃんもおとうさんもこんなよ。

いつもこんなよ。

 

小さい頃の私は、

大好きだったから、笑っていて欲しかっただけなのかもな~

それが、笑ってもらえないことが、

自分の不甲斐なさだったから、

こうやって必死に怒られないようにしてきたのかもな~

 

うん。うん。

よーーーーくやったねーーーー。私。

おじいちゃんにしても、

おとうさんにしても、

「ちゃんとさせること」が愛だったんだね。

 

だって、みなさん、ちゃんとしているもんね。

 

あはは。ちゃんとできなくて、ごめんね。

ちゃんとできない私をこうして愛してくれてありがとう。

 

愛してくれた記憶だって、この肉体にはあるんだから♡

大丈夫。

 

そうすると。。。。

おもしろいもので。

もう、現実でそういう声の人が現れなくなるという。

 

怒られたかったんだね~私 笑

 

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街並みと夕焼けもホッとするな~

 

 

sensitivitytolove315.hatenablog.com

 

 

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