人に嫌われるのが怖いんじゃなくて。。。
ごきげんよう。 こうのみちこです。
人に嫌われるのが怖いんじゃなくて、、、
そもそも、、、
すでに自分自身で、
自分は嫌われている。
自分は嫌われものだ!
と、握りしめているかもしれません。
私、みつけちゃったの。
そう思っている自分を。
今まで、
人に嫌われるのが怖い。
(うん。うん。怖いよね~と認めて)
→嫌わてもいいんだよ~
合わない人もいるし、好き嫌いは相手の自由だよ。
自分も人を嫌っていいんだよ~
嫌うことも、嫌われることも、悪いことじゃないんだよ~
と、抱きしめて、それを許してきて、
嫌われた。と思った出来事なども、
自分はそう思ったけれど、お相手ともっとちゃんと話していたら、
違う思い、違う本音があったかもしれないな。とか、
癒してきたんだよね。
丁度一ヶ月前くらいから、
「お母さん」がキーワードとしてきていたんだけれど、
実家に帰ったばかりで散々そこでもみるものはみたはず、だったし、
お母さんとのぶつかり稽古は相当してきたはず、だから、
何を、どこを、みたらいいか?
わからなかったのよ。
まぁ、また出来事が教えてくれるでしょう。と、
放置していたら、↑のひだまり堂の由美さんのシェアで、
あ。
私、
お母さんが私をどう思っているか?は、認知しているけれど、
私がお母さんをどう思っているか?は、認知していないな。
と、気づいて、
これだわ!と、みていったの。
でね。
その過程ででてきたのが、
「私は嫌われている」という思い込み。
こうやってみてみると、
もうそっくりな、私とお母さんの傾向。
友達が少ない。
程よい距離感が必要。
斜に構えている。
自分からは輪に入っていかない。
入っても客観視している。
親しくなるけれど、ある時傷ついて疎遠になる。
「合わないな」といつもどこかで感じている。
書いていて、へこむな~
私は、そういうお母さんを、
「もっと、そんな深刻にならないで軽く付き合ったらいいのに」
と、思っている時期もあって、
そういう時期は、
真逆の社交的な自分で周りと接していて、
「こうやってやったら楽しいよ~」みたいなね。
みせていたんだよね。
けれど、
そうやってみて、
自分はどうも、人と深くじっくり突き合って行きたい人かもしれない。
と、自分の傾向に気づいて、
自分のその傾向を活かすようになると、
深く付き合うぶん、
その時のトラブルが自分の心の傷となって残って、、、
あの、
お母さんとそっくりな人と関り方になっていた。。。
と、みていくと、
「私はどーーーーせ嫌われる」
「私は人から嫌われている」
を、握りしめるようになっていたんだよね。
驚愕。。。
そこまでとはね。
だから、尖ったフリをする。
自分自身じゃ嫌われちゃうから、
自分が「すごいな。」と思う人の意見を言ったりね。
独特とか、個性的とか、好きなくせに、
それを自分自身のコアからだすことは、怖くて。
客観的にみてきた、
お母さんの社交術は、そのまま今の私そのもので。
衝撃的だった。
そういうお母さんを「しょうかないよね」と、
お得意の受けとめたフリ、
放置プレーをしていたんだけれどね。
「斜に構える」がね、
そろそろ、終わりを迎えるのを感じていて、
ということは、
このキャラも終わりを迎えるシンクロを感じるの。
さて、
本当にお母さんは嫌われているのか?
さて、
本当に私は嫌われているのか?
嫌われてないじゃんね。
私がお母さんのこと大好きだもの。
私の周りにも、
わたしのことを好きだと言ってくれる人がたくさんいる。
そういう人に対して、
今まで、物凄い失礼なことをしてきたな。と。
私は、受け取ってこなかったから。
みなさんからの「好き」という思いを。
どこかで、
どうせ、今好きでも嫌いになるでしょう。って。
いててててててててて。。。
循環が起こらないようにしていたのは、
自分自身でした。
一生懸命に自分を守ってきたんだな~
でも、もういいよ。
大丈夫だよ。
お母さん大好きだよ。
この言葉によってリリースされるものがたくさん。
この、呪縛(と、あえて書くよ)は、
エネルギー的にみても、
強く、固いもので、
この強い力で、
覆い隠したかったものがあるの。
それは、母性。
まさか、よね。。。
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