罪悪感と客観視
やっほーー☆ こうのみちこです。
「高嶺の花」
今季、唯一みているドラマ。
ドラマ「高嶺の花」9話あらすじ☆私は家元の娘じゃないんですね・・・
マニアックな私にはとってもおもしろい。
単純に石原さとみちゃんも好き♡
「もうひとりの自分を取り戻すには罪悪感が必要なんですね」
という、セリフがここまでの展開でキーワードだったと思う。
もうひとりの自分とは、空蝉の自分。
華道家である主人公が後ろ活けという、
観客に向けて華を活ける時に、観客側にもうひとりの自分が見ているという感覚のこと。
さすが野島伸司さんの脚本というか。(あまり知らないけれどw)
心理的、宇宙的な空間というか、それが芸術家の世界なのか?というか。
なんともわかりにくいこの描写がこのドラマの世界観を創っているように思う。
たゆたう、光と影。。。 違うな。。。
私自身、この言葉を聞いて、わかったことがある。
私は、この罪悪感があることで、自分のことを客観視してきたんだな~ってこと。
これ、一方では、お見張りエゴリンと名前を付けて
なるべくこのエゴを選択しないように、していたんだけど。
だって、あれもダメ、これも違う、って、ナチュラルにダメ出しが始まって、
非常に動きにくくなるから。(不快でもある)
それなのに。
「罪悪感」を使って、
自分のことを隅から隅まで観察することがルーティンになっていたから、
この罪悪感が手放せずにいた。
だって、観察には罪悪感が必要。って、
私の中で大切なものになっていたから。
だから、一緒にいた龍神様のダメ出し的なものの言い方とか、
それに対してブチブチ言いながらも、従うところとか。
もろに、この状態。
罪悪感を手放したい。
でも手放せないでいたのは、そういうことだったのか。と氣づいたの。
で、
ドラマのもうひとりの自分は、
今後どう表現されるか(小さかったころの自分っていってたけど)それは置いといて、
もうひとりの自分。
私たちにもいつもいるんだよね。
それを高次の自分とか、創造主とか、言う人もいるやつ。
このもうひとりの自分と一体化というか、それをもっている時、
それもまた、客観視している時。
ただ、本当にただみているだけ。
涙がでていても、笑っていても、感情がない。感覚。
ここをね、勘違いしてきたんだね。
私。
当たり前なんだけど、この罪悪感が私を重くしていたな~と、思って。
やっと、わかって。
満月のパワーと共に、わかるだけどの罪悪感をさようならした。
罪悪感を餌にして、観察するのはやめます!!と、宣言もして。
「罪悪感」と一口に言っても、その切り口たるや。。。
たくさんあったよーーーー (白目
とはいえ、ホント、
自分に必要だから、そこに在るんだな~と。
そして、自分に必要なくなれば、なくなるんだな~と。
罪悪感、無くそうにもなくせない人は、きっと理由があるんだね。
そこに寄り添うことから、始まる氣づきがあるよ~
もう、いいのなら、簡単に手放せるから。
じっくり味わいましょ♡
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