sensitivitytoLOVE

「あいする」に飛び込めば世界が変わる

自分の欲を叶えるよりも、自分らしくいれること。

 

やっほーー☆ こうのみちこよーーーん♪

 

エゴリンとの向き合いによって、

ハートが鏡であるとこに氣づいてからというもの。

 

今までにない、じんわりとした心地よさがある。

なによりも自分らしくいれること。

これが私の欲しかったことなんだな。

 

 

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「愛されたい」

「愛したい」

この動詞を欲としたとき、

自分を喜ばすこと→それはどんな行動をするのか。

 

「何をするのか?」

この行動することばかりに意識が向いていたように思う。

 

それが、

○○されること=愛されているということ。

という勘違いに繋がっていた。

 

 

sensitivitytolove315.hatenablog.com

 

①ただただ愛しているからそれをする。

②愛されたいからそれをする。

は、行動からすると、同じ行動だが、全然違うことを意味している。

(している本人も氣づいていないことが多い)

 

そもそも、

何かしてくれる、自分を喜ばしてくれる=愛されている

という公式をもっていたのなら、

その違いなんてどうでもいいよね。

 

行動をされている以上、愛されている実感ができるんだから。

 

だけど、

行動をするとか、しないとか、

そういうことと、自分が愛されている、いないは関係がない。

 

 

 

成熟というプロセスを辿っていく時、

これまで大切にしてきたこの価値観が邪魔になる時がある。

 

過去、拗ねていた私が持っていたこの価値観は

もう今の私にはいらないものになった。

 

何かをしてくれる人よりも、

私の全てを許し、認めてくれる人を欲した。

むしろ、自分らしさをさらに引き出してくれるような。

 

ずっと、ここが腑に落ちていなかったけれど。

 

何もしなくても、愛しているし、愛されている。

自分自身にとって、これほどの承認はあるだろうか。

 

事実、ハイヤーセルフ、神様、宇宙、なんでもいいけど、

大元のからの愛って、これなんだよね。

 

これを自分自身が、自分にする。

それが、自分らしくあることだし、自分の持つ最高の自分をクリエイションできる。

 

これはもう、男性性とか女性性とか、エゴとか、本能とか魂とか、

そういうことじゃない、

(ネガティブなビリーフを抱える役割はエゴがもっているけどね)

 

どの役割を担っているすべての自分がサイコーの状態であることが大切ね。

 

そうなれば、もう「与える」ことがナチュラルな流れになる。

それが「与えられる」ことも。

 

 

「自分の欲求を満たす」このプロセスをたどってきたのなら、

「行動」で満たされるのもいいけれど、

その意識に目をむけたいね。

 

何を自分が感じているのか。

本当にその行動に喜んでいるのか?

 

自分の欲求を満たしてくれていたとして、

それでも自分のことを否定されていたら、

それって、自分は本当の部分で満たされているんだろうか?

 

自分らしくいれることに満たされている今日。

みちみちている。

 

あぁーーー幸せだな。

 

 

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かなりコアな内容なので、

私が好きでないときついでしょうが 笑

 

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