sensitivitytoLOVE

「あいする」に飛び込めば世界が変わる

本音を生きるとは。

 

やっほーー☆ こうのみちこです。

 

【本音を生きるとは】

 

ある意味、生きづらいでしょうね。

 

その生きづらさを超えた先に楽園はある。

 

確実に。

 

けれど、

楽園にいきたいから、本音を生きる。ってなると、

少し気持ちが悪い。

 

あくまでも、

「本音を生きる」は、自分自身からのコールで、

生きづらかろうが、私は私を生きる。という、

ある意味覚悟のような、

そんな挑戦をふくんでいるように思う。

 

 

本音を生きる=自分自身を生きる なんだよ。

 

 

例えば、

 

彼に、「どうしてもっとこーーしてくれないの!」と、

ブチ切れて、暴れまくっていた時に、

 

「あぁーーーーーこの人のことが大好きで、大好きで、

 しょうがないんだなーーー

 だから、こんなに大切にしてほしくてたまらないんだなーーー」

 

と、湧いてきた、

このクッソ恥ずかしい、とてもキレている時には口にできない、

その気持ちが本音。

なーーーんだ、こんなにキレなくても、素直に言ったら良いのに。

ん?

言えない自分の癖ってなんだろう。。。

 

とか、

 

言いたいことを言い合える関係のはずなのに、

なんか、モヤモヤするな。。。。なんだろう。。。。

本当に相手に言いたいことが言えていなんだ。

なんでだろう?

嫌われたくない?

イヤ、むしろ好きだから?

んんん?

違うな。お相手がそれを言われたくないことに気づいているんだ。

だから、言いたくないんだ。

わかっているんなら、やればいいのに。って思っているんだ。

ねーーーそれって、自分のことを相手のことも見くびってるよね?

私の本音はなぁに?

そういうわだかまりない関係だよね?

何を言っても言わなくてもスッキリしている関係だよね?

じゃあ、言おう!勇気だそう!

 

とか。

 

うわぁ!この人って思っていたのに、なんていう裏切りだよ!

あぁ。。。

でも、好きなんだよなーーー

決めたんだよなーーーこの人と生きていくって。

この人が運命の人だって、感じたんだよなーーー

んんん?

本当にこの生活がこのまま続いていいの?

こんなに葛藤して、こんなに不自由な毎日が続いていいの?

しかも、

あーーーーた、

これ、バカにされてるよ?侮辱されてるよ?

それでも、自分を愛せ。って試されてるよ?

ねぇ。これ本当に自分が望んでいることなの?

あ。違う。

この人じゃない。でいいんだ。

私は私の尊厳と私を大切にする生き方をしたいんだった。

誰かの奴隷になりたいわけじゃない。

これは私の望んでいたパートナーシップじゃない!

悲しけど、

私は、お互いに尊重し合える関係性を築きたいんだった。

 

とか。

 

 

一見、「正論」として、

そこに横たわっているものの先の、

自分の本当の気持ちや指針だ。

 

細かいって?

細かいよ。

めちゃくちゃ細かいよ。

 

本音は、本当に自分が大切にしているモノだから、

それを守るために、

自分自身でたくさんの防御をしていることが多い。

 

だから、わからない。

わかりにくい。

 

さらに言えば、

本音を生きるって、枠を外すとか、欲を満たすとか、

そういうことだけじゃない。

 

枠を外すも

欲を満たすも、

本音を生きることのツールにすぎない。

 

これができているからって、

本音を生きている。

本音を語っている、とは限らない。

 

「生きづらさ」これがひとつのキーワード。

それを認めること。だから。

本音を生きるって。

 

それを認めることって、どういうことか?

というと、

過去の自分に負けること。

 

これがねーーーーー

やっかい。

 

(ここで足止めしている人の多い事)

 

過去の自分に負ける。。。

 

これまで自分が正しいと、必死に歩んできたその道を、

その選択を、その考えを、その努力を、

間違っていた。と認めること。

 

築いてきた、そのポジションを手放す。とかね。

 

負けれないのは、

間違っていたと思えないのは、

プライド。それだけ。

 

で。

その多くは、外側に向いている。

 

って、事は、

上下を作っているし、

対立を生んでいる。

 

だって、自分自身の世界だから。

 

私自身も、

それがなかなかできなかったからこそ、

拗ねて、

暴れて、

誰かのせいにし続けた。

 

けれど、

あぁ。あんなに頑張って、必死にやってきたけれど、

それを認めてもらえないことが、

悔しくて悔しくてしょうがなかったけれど、

今の自分には、

いや、過去の自分にとっても、

それは、苦痛だったり、望んでいることではなかったな。

と、

自分で自分に懺悔して。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

何度も何度も

こんな経験をさせて、

こんな選択をして、

ごめんなさい。って、謝った。

 

その後、

それでも、苦しくても、なんでも

付き合ってくれてありがとう。って、

今度は、

何度も何度も

ありがとう。

ありがとう。

って、自分自身に送った。

 

本音を生きる。っていうのは、

そういうことの繰り返しだよ。

 

自分自身との懺悔と感謝。

この繰り返し。

 

それをせずして、「ス」にはたどり着けない。

 

ちなみに、

エゴは、「過去」だ。

 

ってことは、

過去に負けれない。ということは、

エゴに主導権を握られている。ということ。

 

そう、だから、

外側に意識がいく=プライドが立つ

っていのは、仕方がない。

 

まぁ。

過去の自分に負けたところで、

過去の自分が間違っていたと認めたところで、

 

人生に負けてはいないし、

自分自身が間違っていたわけでもない。

 

その時の自分にとっては、

それが最善だったんだから、

仕方がなかったんだよ。

 

 

正しさをふりかざしている以上は、

何もみえない。

 

ふりかざしたいのは、きっと。

もうすでに、

自分自身にとって、それは違うってわかっているからだよ。

 

それを認めて欲しいのは、他人じゃない。

自分自身にだよ。

 

 

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