共鳴か?妄想か?
やっほーー⭐ こうのみちこです。
沖縄に帰ってきました♪
最後の夜は、お母さんと妹と(少し父)と、ゆっくり時間。
私、電車を見送るお母さんを見ると泣いちゃう。
それがイヤで、
毎度、電車ギリギリの時間に送ってもらうんだけど。
今日は、特にギリギリで、
見送るお母さんと対峙せずにすんだんだけど、
チラッと、
車を停めて、電車に乗る私たちを探す姿をみてしまった。
隣で妹が
「泣かずにすんだね~」って、ニヤついてたけど、
しっかり、泣いちゃったよ~( T∀T)
お母さんの気持ちとか、なんかね、、、
これで会うの最後かもなーとかね、、、
たまらない気持ちになる。
隣で笑う、妹。
「私、かーちゃん見てるなーーって、感じだよ。」
って、さ。
この差よ。
ふと、
そういえば、幼稚園の卒園式の時に、
大泣きしたなーーと、思い出して。
胸っていうか、
みぞおちが、ギュッとして、
泣くのを堪えていたんだけど、
お母さんの気持ちに共鳴して、
たまらなくなって泣いている。と、思っていたけど、
怒りの感情、同様。
感情は、その人自身のもので、
私がお母さんの気持ちと感じているものは、私の感じた妄想だとしたら。
私は、お母さんからこんなにも愛され、思われている。ということを知っている、感じている、思っている、んだな。と、
思って。
どこまでも、どこまでも、
上っ面は、しょーーもない。というか、
あの、思い込みはなんだったんだ?というか、
なんてゲームをしていたんだ。という、
呆然とした気持ちになる。
そこから、お母さんの気持ちを思うと、
懺悔しかないし。
とっても小さい私は、それを知っていて、
だからこそ、
期待に答えたかったり、
役に立ちたかったり、
願いを叶えたかったりしたのかもしれないな。
私も、
お母さんが私を思う気持ちと同じように、
お母さんのことを愛しているのだから。
ずいぶん、長かったなーー
この、
やさしくて、温かな、気持ちじゃなくて、
偉くなるとか、ちゃんとするとか、そういうことを大切にしてきちゃったんだな。
それも否定はしないけど、
泣ける私でよかったんだな。と。
それをもう少し許していいのかもな。と。
ずっと、押さえ込んでいた、
小さい私がまた表れた気分。
何をしても、相思相愛の
愛し、愛されゲームだから。
それを試す遊びじゃなくて、
それを広げる遊びを。
これからはしていく♪
愛しい背中と愛しい寝顔♡
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